【ファームファイルVol.8 丸藤牧場編】中川町で放牧酪農への挑戦—丸藤牧場の北海道ドリーム(FarmFile)
丸藤牧場が志した放牧酪農の道のり。
好きなことを追求し、数々の困難を乗り越えた経験を語ります。
地域と家族、そして牧場を支える丸藤さんの放牧酪農の魅力をお届けします。
神奈川県出身の丸藤さん。
大学時代に留年し、このまま都会でサラリーマンとしてやっていくか、当時は迷っていたそうです。
きっかけをくれたのは、研究室の助教授でした。
「自分が好きなことをやった方がいいぞって、あっけらかんといわれて」
元々一次産業には興味のあった丸藤さん。酪農に惹かれた理由は、自身が経営者になれるという点だったそうです。
さらに、図書館で本や資料を読み漁る中で、外部要因の影響も受けづらく、持続性が高いと思った「放牧酪農」に興味を持ちました。
次第に、自分が就農するなら放牧酪農が良いと、具体的な将来像を描いていったそうです。
「アメリカンドリームならぬ、北海道ドリームをかなえるぞっていう気持ちできました」
丸藤さんは笑いながら語ります。
今や北海道内でも指折りの優秀な酪農家として、メディアや新聞などでも取り上げられるようになりましたが、はじめは苦労が続いたと語る丸藤さん。
就農した直後、お子さんが生まれたことと、牛の分娩ラッシュが重なり、一人で牧場を切り盛りするしかありませんでした。
自分にとっても初めての牛、牛たちにとっても初めての牛舎や牧場。
子牛の死産や親牛の乳房炎など、次々とトラブルが起きながらも、ただそれを受け入れるしかなかったのです。
「悲しんでる暇もなく、ただただ一生懸命。
そんな中でも楽しみながら、苦しみながら、眠いなと思いながら、経済的にもいい循環を作らないと思って。」
こうした経験もあってか、浮き沈みがあることを受け入れながら、どのように牧場を経営するか、数値やデータを基に冷静な目線で見極めれるようになった丸藤さん。
「要は悪くなったときに、どうするかですよね。」
「もともと理系の人間なので、完璧主義的なところはあったんですけど。
ただ、生きもの相手にした仕事についてからは、完璧主義を捨てる努力をかなりしてきましたね」
普通のサラリーマンであれば、仕事にのめりこみすぎると家族がおざなりになったり、家族を優先しすぎると仕事の成果が上がらなかったりと、両者のバランスをとる必要があります。
酪農であれば、仕事をしながらお金を稼いで、家族もそばにいてくれるし、困ったときに、地域の人が手助けをしてくれることすらもあります。
そういった点から、”すべて丸く収まる”という表現をしてくださいました。
実家の神奈川に一時帰省することになったときに、当時の代表だった池田邦雄さんから、ある場所を勧められました。
「帰りにここ寄ってきたらいいよって勧めてくれたのがファームエイジだったんですよね」
新規就農してから3、4年目にファームエイジも協力している「グラスファーミングスクール」に初めて参加されました。
それ以降は毎年のように参加いただくメンバーの一人になりました。
「私の人生において、すごく大きな糧になりました」
「今は栄養ベースで約75%以上を自前の草地で賄って生乳生産しています。」
そのような取り組みが実を結び、道の駅や東京のサテライトショップなどでも販売が広まっているそうです。
最近は、地域おこし協力隊の方が、放牧牛乳を使ったチーズ工房を開きたいという話もでてきているとのこと。
「生きもの飼ってる農家は忙しいじゃないですか、だから私としては第三者が加工販売してくれたらいいなと思っていて。」
自分たちが作るものが牛だけでなく、食べる人の健康も支える。
そんな生産スタイルをこれからも続けていきたいと語ります。
自分がそこにたどり着けるために何をしたらいいんだろうっていうことを、地道に考えて実行できるしぶとさみたいなものも、大事かもしれないよね。」
「島国である日本において、食料を自給できるということは非常に重要なことで、生産者になることで、新たにその一員に加われることを、誇りに思えるように就農してほしい」
同時に、経営者として厳しい判断や決断を下すことも重要と語ります。
ときには自分の想いと相反していても、自分の想いだけが先走らないように、うまくバランスをとるということが重要だそうです。
「新規就農するときは、やっぱり自分でも事業計画を立てて、金融機関にお金を貸してくださいって言えるような。最初からそんなすごい事業計画できないかもしれないですけど。」
「自分の頭と手を動かして、何度も何度も考えて。そういった努力も必要ですので、ぜひ頑張っていただきたいなと思います。」
丸藤さんがさっそうとバギーにまたがり、牛たちに掛け声をかけます。
そのあとを追いかけるように、隊列をなして、牛たちが歩いていきます。
今日も明日も、牛たちは放牧地で草を食み、また牛舎に戻ってきます。
紆余曲折や多くの苦労を重ねた先に、丸藤牧場の日常風景が完成しました。
一軒牧歌的に見える風景は、丸藤さんの苦労や緻密な設計に基づいて、作られてきた努力の結晶なのだと、気づかされました。
家族や地域を ”まるく収めてくれる” この風景が、末永く続くことを願っています。
好きなことを追求し、数々の困難を乗り越えた経験を語ります。
地域と家族、そして牧場を支える丸藤さんの放牧酪農の魅力をお届けします。
目次
1.好きなことをやる 放牧酪農を志したきっかけ
北海道の北部に位置する「中川町」。雄大な天塩川に沿ったこの町に、丸藤牧場があります。神奈川県出身の丸藤さん。
大学時代に留年し、このまま都会でサラリーマンとしてやっていくか、当時は迷っていたそうです。
きっかけをくれたのは、研究室の助教授でした。
「自分が好きなことをやった方がいいぞって、あっけらかんといわれて」
元々一次産業には興味のあった丸藤さん。酪農に惹かれた理由は、自身が経営者になれるという点だったそうです。
さらに、図書館で本や資料を読み漁る中で、外部要因の影響も受けづらく、持続性が高いと思った「放牧酪農」に興味を持ちました。
次第に、自分が就農するなら放牧酪農が良いと、具体的な将来像を描いていったそうです。
「アメリカンドリームならぬ、北海道ドリームをかなえるぞっていう気持ちできました」
丸藤さんは笑いながら語ります。
2.苦労の連続から見出した数値管理技術
「やっぱり、パートナーがいないと、酪農で新規就農することは厳しいですよね。」今や北海道内でも指折りの優秀な酪農家として、メディアや新聞などでも取り上げられるようになりましたが、はじめは苦労が続いたと語る丸藤さん。
就農した直後、お子さんが生まれたことと、牛の分娩ラッシュが重なり、一人で牧場を切り盛りするしかありませんでした。
自分にとっても初めての牛、牛たちにとっても初めての牛舎や牧場。
子牛の死産や親牛の乳房炎など、次々とトラブルが起きながらも、ただそれを受け入れるしかなかったのです。
「悲しんでる暇もなく、ただただ一生懸命。
そんな中でも楽しみながら、苦しみながら、眠いなと思いながら、経済的にもいい循環を作らないと思って。」
こうした経験もあってか、浮き沈みがあることを受け入れながら、どのように牧場を経営するか、数値やデータを基に冷静な目線で見極めれるようになった丸藤さん。
「要は悪くなったときに、どうするかですよね。」
「もともと理系の人間なので、完璧主義的なところはあったんですけど。
ただ、生きもの相手にした仕事についてからは、完璧主義を捨てる努力をかなりしてきましたね」
3.丸藤さんにとって 放牧酪農とは
「全てを丸く収めてくれる職業ですかね」普通のサラリーマンであれば、仕事にのめりこみすぎると家族がおざなりになったり、家族を優先しすぎると仕事の成果が上がらなかったりと、両者のバランスをとる必要があります。
酪農であれば、仕事をしながらお金を稼いで、家族もそばにいてくれるし、困ったときに、地域の人が手助けをしてくれることすらもあります。
そういった点から、”すべて丸く収まる”という表現をしてくださいました。
4.ファームエイジを知ったきっかけ
「浜頓別町の池田牧場さんにお世話になっていたんですけど」実家の神奈川に一時帰省することになったときに、当時の代表だった池田邦雄さんから、ある場所を勧められました。
「帰りにここ寄ってきたらいいよって勧めてくれたのがファームエイジだったんですよね」
新規就農してから3、4年目にファームエイジも協力している「グラスファーミングスクール」に初めて参加されました。
それ以降は毎年のように参加いただくメンバーの一人になりました。
「私の人生において、すごく大きな糧になりました」
5.中川町から全国へ 動き始めている6次化
丸藤さんは、家族が安心して飲めるような生乳生産を心がけています。「今は栄養ベースで約75%以上を自前の草地で賄って生乳生産しています。」
そのような取り組みが実を結び、道の駅や東京のサテライトショップなどでも販売が広まっているそうです。
最近は、地域おこし協力隊の方が、放牧牛乳を使ったチーズ工房を開きたいという話もでてきているとのこと。
「生きもの飼ってる農家は忙しいじゃないですか、だから私としては第三者が加工販売してくれたらいいなと思っていて。」
自分たちが作るものが牛だけでなく、食べる人の健康も支える。
そんな生産スタイルをこれからも続けていきたいと語ります。
6.これから農業をしたい人に向けて
「諦めないことも大事なんですけれども。自分がそこにたどり着けるために何をしたらいいんだろうっていうことを、地道に考えて実行できるしぶとさみたいなものも、大事かもしれないよね。」
「島国である日本において、食料を自給できるということは非常に重要なことで、生産者になることで、新たにその一員に加われることを、誇りに思えるように就農してほしい」
同時に、経営者として厳しい判断や決断を下すことも重要と語ります。
ときには自分の想いと相反していても、自分の想いだけが先走らないように、うまくバランスをとるということが重要だそうです。
「新規就農するときは、やっぱり自分でも事業計画を立てて、金融機関にお金を貸してくださいって言えるような。最初からそんなすごい事業計画できないかもしれないですけど。」
「自分の頭と手を動かして、何度も何度も考えて。そういった努力も必要ですので、ぜひ頑張っていただきたいなと思います。」
丸藤さんがさっそうとバギーにまたがり、牛たちに掛け声をかけます。
そのあとを追いかけるように、隊列をなして、牛たちが歩いていきます。
今日も明日も、牛たちは放牧地で草を食み、また牛舎に戻ってきます。
紆余曲折や多くの苦労を重ねた先に、丸藤牧場の日常風景が完成しました。
一軒牧歌的に見える風景は、丸藤さんの苦労や緻密な設計に基づいて、作られてきた努力の結晶なのだと、気づかされました。
家族や地域を ”まるく収めてくれる” この風景が、末永く続くことを願っています。
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