【喜茂別町で夢をはぐくむ酪農家に密着。齊藤さんが放牧を始めたきっかけと幸せな牧場作り。】放牧酪農家:牧場タカラ(ファームファイル Vol.5/FarmFile05)
喜茂別町の放牧地で育った牛から牛乳を絞り、販売している牧場タカラの齊藤さん。
「舎飼い」から「放牧」に切り替えたきっかけと、放牧での課題にどのように向き合ったのかについてお話いただきました。
牧場タカラが作る牛乳とは。齊藤さんの想う幸せとは。
蝦夷富士(えぞふじ)と呼ばれる美しい山並みをもつ羊蹄山(ようていざん)。
その麓にある喜茂別(きもべつ)町に、牧場タカラはあります。
この日は、牧草ロール刈りの真っただ中。
場長の斎藤さんは、慣れた手つきでトラクターを運転しながら、続々と牧草ロールを作っていきます。
酪農家として、牧草ロールを作るのは楽しみであり、うまくできたときは喜びでもあると語ってくれました。
完成したロールたちを満足げに眺めます。
「気持ちで作るんですよ。気持ちで。」
と笑って話す斎藤さん。
現在、約42haの敷地で30頭の乳牛(ホルスタイン牛とジャージー牛)を放牧しています。
2001年に、ご両親の夢だった牛乳販売を開始。2007年には、チーズ工房タカラを併設し、
チーズ販売もスタートしました。(2023年現在)
今でこそ、順風満帆な牧場経営をされているように見えますが、
そこに至るまでには、平坦な道のりではなく、
試行錯誤や苦悩の日々がありました。
できるだけ多くの乳量を求め、牛たちを牛舎で飼いながら、穀物飼料などを中心に与えるスタイルでした。
乳量はあがりつつも、徐々に疲弊していく牛達。
管理する人間にとっても、それは同様でした。
「それで、牛たちをこのままではいけないっていうことで、運動をかねて出したっていうのが始まりで」
斎藤さんがまだ子供のころだったそうですが、
はじめて放牧地に放たれた牛たちを見た印象は、今も鮮明に残っていると語ります。
「牛が嬉しそうな姿っていうのを忘れられなくて、当時は本当に幸せだなって思ったんですよね。」
取材で訪れた日は天候に恵まれ、
牧場の背景にある羊蹄山の稜線がくっきりと見えていました。
眼下には、ゆったりと放牧地で草を食む牛たちの光景が広がっています。
遠くでその様子を見て、
「風景っていうのかな。僕の好きな言葉で」
牧場を見わたしながら、斎藤さんは続けます。
「パッと見たらこう、牛がいなかったらただの牧草地なんだけど、牛がいたらなんか違いますよね。
いい風景を作れたな、作らせてもらったな」
斎藤さんは誇らしげに語っていました。
・放牧のメリットについて
牛たちを牛舎に戻します。
放牧を終えて牛舎に戻っていく牛たちの姿を見ながら、
斎藤さんは当時を振り返ります。
「はじめた当初は、宅配牛乳をやってたんで、近隣の町にこう、1本1本届けるような牛乳販売をやってたんですね。」
きっかけは、ご両親が「牛屋が牛乳を販売したい」という想いからスタートしました。
ところが、放牧している牛たちが牧草をきちんと食べられない時期があると、
品質にばらつきが出てしまい、厳しい指摘を受けることもあったそうです。
このまま、こんな自信のない牛乳を作るわけにはいかない。
放牧だから、薄い牛乳だと思ってほしくない。
斎藤さんの中に、強い思いが芽生えました。
そこからは、独学で放牧の知識を身に着けていきました。
必死に取り組んだ甲斐もあり、今では年間を通じて、
牛乳の味や品質を安定させることができる技術を身に着けられるようになりました。
「牛乳に対して自信がないっていう、これ大変なことだったんですけど。」
「イコール牧場に自信がない、放牧の仕方がわからないっていう時に、どうしていいかわからなかったんですね。」
悩みを抱えていた斎藤さんを救ったのは、意外な人でした。
「宅配牛乳をしていたお客さんが、たまたまファームエイジの商品を使っていたんです。」
こういうセミナーがあるから出てみたらどうだい?と、手渡されたのが、
放牧酪農を学ぶセミナーである「グラスファーミングスクール」のパンフレットだったそうです。
最初は、ためらいがあったそうですが、家族のサポートもあり、参加を決断しました。
「僕はその時飛び込む勇気はなかったんだけど、うちの奥さんに背中をドンと押してもらって。」
恥ずかしそうに笑いながら話してくださいました。
・グラスファーミングスクールとは?
気が付くと、あたりはすっかり夕焼けに包まれていました。
日中は青々としていた牧草地が、夕焼けのオレンジ色に染まっています。
「それをやれるかわからないけど、一歩、これを踏み出して。
失敗したっていいじゃないって感じで飛び込む勇気っていうのかな。」
どの道が正しい選択かは、誰にもわかりません。
それでも、自分の選んだ道を信じて、必死で走ってきた斎藤さんだからこそ、
その言葉には重みがありました。
「そんな勇気をもって、飛び込んでほしい」
斎藤さんは語ります。
・新規就農で放牧をお考えの方へ
牧場タカラを見学に訪れた講師の先生達から、思いがけない一言をいわれたそうです。
「何を不満に思ってんだって。いわれたときにハッとして。」
あまりにもシンプルな一言でしたが、
斎藤さんは、これでいいんだ、と心を落ち着かせることができたそうです。
「これで十分っていう言葉がなんかワードで、そうするとなんかすべてが穏やかになってきて。
生き方そのもの、生活そのものが、もう毎日が十分なんです。」
今日も国道沿いには「幸せな牛のミルク」と書かれた看板があります。
そして、その背景には牧場タカラの幸せな風景が、広がっています。
苦難を乗り越え、自問自答を繰り返し、
斎藤さんは自分なりの「幸せな放牧スタイル」を見出されました。
これからも、多くの人に幸せを提供してくれる牧場であり続けてほしいと願います。
撮影・編集協力:櫛引 康平
「舎飼い」から「放牧」に切り替えたきっかけと、放牧での課題にどのように向き合ったのかについてお話いただきました。
牧場タカラが作る牛乳とは。齊藤さんの想う幸せとは。
目次
1.牧場タカラについて
蝦夷富士(えぞふじ)と呼ばれる美しい山並みをもつ羊蹄山(ようていざん)。
その麓にある喜茂別(きもべつ)町に、牧場タカラはあります。
この日は、牧草ロール刈りの真っただ中。
場長の斎藤さんは、慣れた手つきでトラクターを運転しながら、続々と牧草ロールを作っていきます。
酪農家として、牧草ロールを作るのは楽しみであり、うまくできたときは喜びでもあると語ってくれました。
完成したロールたちを満足げに眺めます。
「気持ちで作るんですよ。気持ちで。」
と笑って話す斎藤さん。
現在、約42haの敷地で30頭の乳牛(ホルスタイン牛とジャージー牛)を放牧しています。
2001年に、ご両親の夢だった牛乳販売を開始。2007年には、チーズ工房タカラを併設し、
チーズ販売もスタートしました。(2023年現在)
今でこそ、順風満帆な牧場経営をされているように見えますが、
そこに至るまでには、平坦な道のりではなく、
試行錯誤や苦悩の日々がありました。
2.放牧をはじめたきっかけ
当時は、斎藤さんのご両親が経営されていました。できるだけ多くの乳量を求め、牛たちを牛舎で飼いながら、穀物飼料などを中心に与えるスタイルでした。
乳量はあがりつつも、徐々に疲弊していく牛達。
管理する人間にとっても、それは同様でした。
「それで、牛たちをこのままではいけないっていうことで、運動をかねて出したっていうのが始まりで」
斎藤さんがまだ子供のころだったそうですが、
はじめて放牧地に放たれた牛たちを見た印象は、今も鮮明に残っていると語ります。
「牛が嬉しそうな姿っていうのを忘れられなくて、当時は本当に幸せだなって思ったんですよね。」
取材で訪れた日は天候に恵まれ、
牧場の背景にある羊蹄山の稜線がくっきりと見えていました。
眼下には、ゆったりと放牧地で草を食む牛たちの光景が広がっています。
遠くでその様子を見て、
「風景っていうのかな。僕の好きな言葉で」
牧場を見わたしながら、斎藤さんは続けます。
「パッと見たらこう、牛がいなかったらただの牧草地なんだけど、牛がいたらなんか違いますよね。
いい風景を作れたな、作らせてもらったな」
斎藤さんは誇らしげに語っていました。
参考記事
・放牧のメリットについて
3.牛乳を作り始めたきっかけ
日も落ちかけてきたころ、牧区のワイヤーを外し、牛たちを牛舎に戻します。
放牧を終えて牛舎に戻っていく牛たちの姿を見ながら、
斎藤さんは当時を振り返ります。
「はじめた当初は、宅配牛乳をやってたんで、近隣の町にこう、1本1本届けるような牛乳販売をやってたんですね。」
きっかけは、ご両親が「牛屋が牛乳を販売したい」という想いからスタートしました。
ところが、放牧している牛たちが牧草をきちんと食べられない時期があると、
品質にばらつきが出てしまい、厳しい指摘を受けることもあったそうです。
このまま、こんな自信のない牛乳を作るわけにはいかない。
放牧だから、薄い牛乳だと思ってほしくない。
斎藤さんの中に、強い思いが芽生えました。
そこからは、独学で放牧の知識を身に着けていきました。
必死に取り組んだ甲斐もあり、今では年間を通じて、
牛乳の味や品質を安定させることができる技術を身に着けられるようになりました。
4.ファームエイジを知ったきっかけ
「牛乳に対して自信がないっていう、これ大変なことだったんですけど。」
「イコール牧場に自信がない、放牧の仕方がわからないっていう時に、どうしていいかわからなかったんですね。」
悩みを抱えていた斎藤さんを救ったのは、意外な人でした。
「宅配牛乳をしていたお客さんが、たまたまファームエイジの商品を使っていたんです。」
こういうセミナーがあるから出てみたらどうだい?と、手渡されたのが、
放牧酪農を学ぶセミナーである「グラスファーミングスクール」のパンフレットだったそうです。
最初は、ためらいがあったそうですが、家族のサポートもあり、参加を決断しました。
「僕はその時飛び込む勇気はなかったんだけど、うちの奥さんに背中をドンと押してもらって。」
恥ずかしそうに笑いながら話してくださいました。
参考記事
・グラスファーミングスクールとは?
5.これから農業を志す人に向けて
「興味があっても、やりたいなで終わったら、すごく寂しいんですよね。」気が付くと、あたりはすっかり夕焼けに包まれていました。
日中は青々としていた牧草地が、夕焼けのオレンジ色に染まっています。
「それをやれるかわからないけど、一歩、これを踏み出して。
失敗したっていいじゃないって感じで飛び込む勇気っていうのかな。」
どの道が正しい選択かは、誰にもわかりません。
それでも、自分の選んだ道を信じて、必死で走ってきた斎藤さんだからこそ、
その言葉には重みがありました。
「そんな勇気をもって、飛び込んでほしい」
斎藤さんは語ります。
参考記事
・新規就農で放牧をお考えの方へ
6.どうして幸せと思えたのか
「僕、誰かとずっと比べたり、自分の目標がわからなかったんですよ」牧場タカラを見学に訪れた講師の先生達から、思いがけない一言をいわれたそうです。
「何を不満に思ってんだって。いわれたときにハッとして。」
あまりにもシンプルな一言でしたが、
斎藤さんは、これでいいんだ、と心を落ち着かせることができたそうです。
「これで十分っていう言葉がなんかワードで、そうするとなんかすべてが穏やかになってきて。
生き方そのもの、生活そのものが、もう毎日が十分なんです。」
今日も国道沿いには「幸せな牛のミルク」と書かれた看板があります。
そして、その背景には牧場タカラの幸せな風景が、広がっています。
苦難を乗り越え、自問自答を繰り返し、
斎藤さんは自分なりの「幸せな放牧スタイル」を見出されました。
これからも、多くの人に幸せを提供してくれる牧場であり続けてほしいと願います。
6.動画全編
制作:ファームエイジ撮影・編集協力:櫛引 康平
7.関連動画
【FarmFile Vol.1 馬場牧場編】牛舎飼いから放牧に切り替えた由仁町の酪農家のドキュメンタリー 農業者へ伝えたいメッセージ
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【FarmFile Vol.4 グラッドニー牧場編】環境再生型農業でウシ、ヒト、地球が健康に
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その他の動画は >>>ファームエイジYoutubeサイトからご覧ください。
8.放牧を始めたい方へ
ファームエイジでは、舎飼いから放牧への転換へのサポートなど、放牧に関する幅広いサポートを全国各地で40年近く行っています。
詳しい資料もお送りできますので、ご興味のある方は以下からお気軽にお問合せください。
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